攻囲が数日におよんだ場合、防壁に立つ敵から身を守るため、攻囲側は防塁を築いた。これは自軍の砲兵 (カタパルトであれ大砲であれ) を守るのに非常に有効だった。攻囲側が防壁を突破しようと奮闘する間、同じ場所にとどまって動かない砲兵は、どうしても敵に狙われやすかったからだ。火薬が登場し、防壁に据え付けられた大砲の弾が遠くまで飛ぶようになると、こうした防塁はますます不可欠な存在になった。暫定的な方形堡や砲床があれば、攻撃側は壁を破るまで砲撃をつづけることができた。たとえば1453年にメフメト2世の62門の大砲は、コンスタンティノープルの城壁を6週間にわたって砕きつづけたが、それができたのも大砲を守る土塁があったからである。