第一次世界大戦中、生まれて間もない爆撃機は、単機か2機、せいぜい3機単位で運用された。そのため、後方機銃の射界に隙間が生じないように飛ぶことに利点はあったものの、陣形自体にそれほどの重要性はなかった。だが、第二次世界大戦で大規模な爆撃が実施されるようになると、事態は大きく変わる。編隊飛行により、敵戦闘機に対する防御力が向上し、目標に最大限の爆弾を投下することが可能となり、さらには爆撃機同士の衝突を防ぐことができるようになったのだ。占領下のヨーロッパに対する初期の昼間作戦でアメリカ陸軍航空隊が大損害をこうむったことから、1942年8月、カーチス・ルメイ大佐によってコンバットボックス編隊が考案された。これが功を奏し、1942年12月までに損害は激減 (それでもまだ高い水準にあったが)。その後すぐに、「ジャベリンダウン」コンバットボックス編隊は米英両国のすべての爆撃作戦で用いられるようになった。