コンセプト
文明/指導者
都市国家
区域
建造物
遺産とプロジェクト
ユニット
ユニットのレベルアップ
偉人
技術
社会制度
政府と政策
宗教
地形と特徴
資源
施設と道路
総督
歴史的瞬間
ウィルヘルミナ
固有能力

ラジオ・オラニエ

自文明の都市につながっている 交易路により、起点都市に対してターン毎に忠誠心+2。他文明の都市を起点または目的地とする 交易路により、自分の 文化力+2。

概要
ウィルヘルミナ率いるオランダは、河口に面した平地で真価を発揮する文明です。ポルダーによって成長を加速させ、全世界に交易路を広げましょう。
詳細説明
オランダをプレイする場合は、開始地点付近の沿岸を偵察し、都市を築くのにふさわしい川辺や天然の湾を探すと良いでしょう。沿岸都市にはいずれも港を築き、利用できるタイルを増やしましょう。ポルダーによって干拓できる水域タイルの見極めも重要です。その後は大きな川沿いに建設を進め、 科学力、 文化力、 生産力を可能なかぎり高めましょう。仕上げとなるのは、自国都市の忠誠心を維持し、他文明の土地から 文化力を獲得し、どのような勝利を目指すのにも十分な ゴールドをもたらしてくれる、広大な 交易路です。
歴史的背景
ウィルヘルミナは、物心がついた頃からずっと、オランダの女王、あるいは未来の女王としての道を歩んできた。オランダ史上最も長い在位期間を誇る彼女は、動乱の時代にあって国民を導いた。20世紀初頭、世界経済が崩壊した1930年代、そして2度にわたる世界大戦。いずれにおいても彼女は堂々と、威厳をもって自らの役目を全うし、オランダ王室による統治に全身全霊を捧げたのである。

1880年、オランダ国王ウィレム3世と2人目の王妃エンマ・フォン・ヴァルデック=ピルモントの間に生まれたウィルヘルミナは、腹違いの兄と大叔父の死により、わずか4歳にしてオランダの推定相続人となった。ウィルヘルミナが10歳の誕生日を迎えて間もなく、ウィレム3世も崩御。ウィルヘルミナが18歳で即位するまでは、エンマ王妃が若き女王の摂政を務めた。

女王となったウィルヘルミナは、人生初期のさまざまな難題に、毅然として対処した。若き女王はよほど強い印象を与えたのだろう。イギリスのヴィクトリア女王は若き日のウィルヘルミナを、魅力的で礼儀をわきまえた聡明な女王と評している。ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世も、彼女の明敏さを証言している。第一次世界大戦に先立つ会談で皇帝は、「自分の護衛は身長2メートル」もあり、対するウィルヘルミナの護衛は「肩ほどの高さしかない」と発言した。すると彼女は、動じることなく次のように応じた。「そうですね、陛下。あなたの護衛は2メートルの偉丈夫です。しかし、私たちが堤防を開けば水深は3メートルになるのですよ」。ドイツ皇帝との交渉が功を奏し、オランダは第一次世界大戦を通して中立を保つことに成功した。ことによると、彼は危険なものをウィルヘルミナに感じたのかもしれない。

前述のようにオランダは中立を保ったが、大戦中、ウィルヘルミナは強固な防衛政策を貫いた。彼女は自国の軍備に積極的な関心を寄せ、国境の警戒を緩めぬよう訴えた。そうした姿勢は、王配であるハインリヒ王子が家族に会うために故郷ドイツへ渡るときも変わらなかった。ウィルヘルミナはしばしば国内を巡幸し、軍を慰問したり寄付を行ったりした。だがウィルヘルミナの願いとは裏腹に、第一次世界大戦の影響は予期せぬ形でオランダにも及んだ。連合国の封鎖が、オランダの貿易を妨げたのだ。商業国家にとっては痛手である。さらに大戦終結時には、ヴィルヘルム2世の政治的亡命を認めたことで、ウィルヘルミナは連合国から抗議を受けることになった。

「戦争を終わらせるための戦争」の経験は、次の世界大戦が始まるまでの間の女王ウィルヘルミナの統治をいっそう強固なものにした。夫と母をあいついで亡くした後、ウィルヘルミナは王家の将来を磐石にするため、一人娘であるユリアナの夫探しを手伝った。こうしたさまざまな出来事の中、世界不況の荒波を乗り越え、彼女は賢明な投資によって世界有数の富を築くことに成功する。

第二次世界大戦は、1940年5月10日、ドイツ軍の侵攻という形でオランダにも及んだ。自国領土への攻撃に対し、ウィルヘルミナは「炎の抵抗」を宣言する。女王はオランダを離れてイギリスに避難し、戦争中は家族をカナダに疎開させた。彼女の出国は臆病な敵前逃亡などではなく、計算されたものだった。仮にそのままオランダに残っていれば、国民は女王が敵に協力したと受け止めていただろう。ウィルヘルミナの出国は、彼女なりの抵抗宣言だった。亡命政府は戦争終結までロンドンにとどまり、女王はラジオ・オラニエの放送を通じて占領下のオランダ国民を鼓舞しつづけた。彼女の言葉に励まされ、オランダのレジスタンスは1945年に女王が帰国するまで戦いつづけたのであった。

2つの世界大戦と58年の統治を経て、ウィルヘルミナはついに退位し、娘のユリアナに王位を譲った。1948年のことである。彼女が王位にあったのは、近代史上でもとりわけ難しい時期であり、国民は女王が難しい決断を下すところを幾度となく目にした。ウィルヘルミナは優れた君主として、オランダの人々に今も愛されている。
icon_leader_wilhelmina
どんなに暗く困難な時代であろうと、最後には私たちの大義が勝利すると信じるのです。

特性

文明

設定

アジェンダ
億万長者
交易路の最大化を目指す。自国の交易相手に好意を示し、それ以外の文明を嫌う。
宗教
icon_leader_wilhelmina
どんなに暗く困難な時代であろうと、最後には私たちの大義が勝利すると信じるのです。

特性

文明

設定

アジェンダ
億万長者
交易路の最大化を目指す。自国の交易相手に好意を示し、それ以外の文明を嫌う。
宗教
固有能力

ラジオ・オラニエ

自文明の都市につながっている 交易路により、起点都市に対してターン毎に忠誠心+2。他文明の都市を起点または目的地とする 交易路により、自分の 文化力+2。

概要
ウィルヘルミナ率いるオランダは、河口に面した平地で真価を発揮する文明です。ポルダーによって成長を加速させ、全世界に交易路を広げましょう。
詳細説明
オランダをプレイする場合は、開始地点付近の沿岸を偵察し、都市を築くのにふさわしい川辺や天然の湾を探すと良いでしょう。沿岸都市にはいずれも港を築き、利用できるタイルを増やしましょう。ポルダーによって干拓できる水域タイルの見極めも重要です。その後は大きな川沿いに建設を進め、 科学力、 文化力、 生産力を可能なかぎり高めましょう。仕上げとなるのは、自国都市の忠誠心を維持し、他文明の土地から 文化力を獲得し、どのような勝利を目指すのにも十分な ゴールドをもたらしてくれる、広大な 交易路です。
歴史的背景
ウィルヘルミナは、物心がついた頃からずっと、オランダの女王、あるいは未来の女王としての道を歩んできた。オランダ史上最も長い在位期間を誇る彼女は、動乱の時代にあって国民を導いた。20世紀初頭、世界経済が崩壊した1930年代、そして2度にわたる世界大戦。いずれにおいても彼女は堂々と、威厳をもって自らの役目を全うし、オランダ王室による統治に全身全霊を捧げたのである。

1880年、オランダ国王ウィレム3世と2人目の王妃エンマ・フォン・ヴァルデック=ピルモントの間に生まれたウィルヘルミナは、腹違いの兄と大叔父の死により、わずか4歳にしてオランダの推定相続人となった。ウィルヘルミナが10歳の誕生日を迎えて間もなく、ウィレム3世も崩御。ウィルヘルミナが18歳で即位するまでは、エンマ王妃が若き女王の摂政を務めた。

女王となったウィルヘルミナは、人生初期のさまざまな難題に、毅然として対処した。若き女王はよほど強い印象を与えたのだろう。イギリスのヴィクトリア女王は若き日のウィルヘルミナを、魅力的で礼儀をわきまえた聡明な女王と評している。ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世も、彼女の明敏さを証言している。第一次世界大戦に先立つ会談で皇帝は、「自分の護衛は身長2メートル」もあり、対するウィルヘルミナの護衛は「肩ほどの高さしかない」と発言した。すると彼女は、動じることなく次のように応じた。「そうですね、陛下。あなたの護衛は2メートルの偉丈夫です。しかし、私たちが堤防を開けば水深は3メートルになるのですよ」。ドイツ皇帝との交渉が功を奏し、オランダは第一次世界大戦を通して中立を保つことに成功した。ことによると、彼は危険なものをウィルヘルミナに感じたのかもしれない。

前述のようにオランダは中立を保ったが、大戦中、ウィルヘルミナは強固な防衛政策を貫いた。彼女は自国の軍備に積極的な関心を寄せ、国境の警戒を緩めぬよう訴えた。そうした姿勢は、王配であるハインリヒ王子が家族に会うために故郷ドイツへ渡るときも変わらなかった。ウィルヘルミナはしばしば国内を巡幸し、軍を慰問したり寄付を行ったりした。だがウィルヘルミナの願いとは裏腹に、第一次世界大戦の影響は予期せぬ形でオランダにも及んだ。連合国の封鎖が、オランダの貿易を妨げたのだ。商業国家にとっては痛手である。さらに大戦終結時には、ヴィルヘルム2世の政治的亡命を認めたことで、ウィルヘルミナは連合国から抗議を受けることになった。

「戦争を終わらせるための戦争」の経験は、次の世界大戦が始まるまでの間の女王ウィルヘルミナの統治をいっそう強固なものにした。夫と母をあいついで亡くした後、ウィルヘルミナは王家の将来を磐石にするため、一人娘であるユリアナの夫探しを手伝った。こうしたさまざまな出来事の中、世界不況の荒波を乗り越え、彼女は賢明な投資によって世界有数の富を築くことに成功する。

第二次世界大戦は、1940年5月10日、ドイツ軍の侵攻という形でオランダにも及んだ。自国領土への攻撃に対し、ウィルヘルミナは「炎の抵抗」を宣言する。女王はオランダを離れてイギリスに避難し、戦争中は家族をカナダに疎開させた。彼女の出国は臆病な敵前逃亡などではなく、計算されたものだった。仮にそのままオランダに残っていれば、国民は女王が敵に協力したと受け止めていただろう。ウィルヘルミナの出国は、彼女なりの抵抗宣言だった。亡命政府は戦争終結までロンドンにとどまり、女王はラジオ・オラニエの放送を通じて占領下のオランダ国民を鼓舞しつづけた。彼女の言葉に励まされ、オランダのレジスタンスは1945年に女王が帰国するまで戦いつづけたのであった。

2つの世界大戦と58年の統治を経て、ウィルヘルミナはついに退位し、娘のユリアナに王位を譲った。1948年のことである。彼女が王位にあったのは、近代史上でもとりわけ難しい時期であり、国民は女王が難しい決断を下すところを幾度となく目にした。ウィルヘルミナは優れた君主として、オランダの人々に今も愛されている。