コンセプト
文明/指導者
都市国家
区域
建造物
遺産とプロジェクト
ユニット
ユニットのレベルアップ
偉人
技術
社会制度
政府と政策
宗教
地形と特徴
資源
施設と道路
総督
歴史的瞬間
トラヤヌス
固有能力

トラヤヌスの記念柱

すべての都市に最初から都心建造物 (太古の場合はモニュメント) が1つ追加されている。

概要
最大の帝国となるべく前進をつづけて迷う必要のない文明、それがローマです。トラヤヌスの心に刻まれているのは、ユリウス・カエサルの言葉、「来た、見た、勝った」なのです。
詳細説明
ローマは素早く都市を完成させ、工学の道を邁進することを目指します。工学を習得すると、浴場を築くことが可能となり、都市は急激に成長します (そして無償のトラヤヌスのモニュメントによって急激に拡大します) 。ローマが持つ「すべての道はローマへ通じる」能力は、都市のネットワークから安定した収入を生み出します (国内の都市から国外に続く 交易路でも十分に役に立ちます。すべての 交易路が国内交易路である必要はありません)。このような拡大策は他国との間に軋轢を生みますが、その頃にはレギオンが使えるようになっているでしょう。レギオンの要塞建設能力は、他の文明よりも2つ早い時代から利用可能となります。これらを有効に使うことが、強大な帝国を維持する鍵となるでしょう。
歴史的背景
平凡なネルヴァ帝の短い治世とハドリアヌス帝の治世に挟まれたトラヤヌス帝の時代、帝国の領土は最大となった。この有能な軍人皇帝は、元老院からオプティムス・プリンケプス (「最善の君主」) と正式に宣言されたが、これは心からの賛辞ではなく、おべっかの要素を多分に含んでいただろう。トラヤヌスは、(少なくとも他の大半の皇帝と比べて) 比較的慈悲深い統治によっても知られており、大規模な公共工事計画に着手し、将来を見据えた社会政策を実施したが、その政策の多くは西暦117年の彼の死後、近視眼的な元老院によって廃止された。彼は「五賢帝」の2番目に数えられているが、この言葉はマキャヴェッリが1503年に作ったものなので、額面どおりに受け取るわけにはいかないだろう。

西暦53年、ヒスパニア・バエティカ属州で、有力な元老院議員にして将軍の子として生まれたトラヤヌスは、純粋なローマ人ではなかった――だが、おそらくそれはむしろ幸いだった。若い頃に彼は軍に入ったが、これは (国境でほぼ休みなく起こっている紛争に生き残れば) 帝国では良い結果が得られることが多い経歴だった。トラヤヌスは非常に争いの多い辺境で従軍したので、またたくまに出世し、有力者たちから目をかけられるようになった。彼は執政官に任命され、結婚して裕福な一族の一員となり (ただし、当時の記録にはいくつかの不倫が記されている)、親衛隊の「進言」に従ったネルヴァ帝によってこの新たな皇帝の養子とされた。

老齢の皇帝が15ヶ月後に死去すると、トラヤヌスが後を継ぎ、すぐさまネルヴァ帝を神格化した (持つべきは有力者とのコネである)。ローマに入ったトラヤヌス帝は (即位当初はそれまでと同じく国境地帯にいた)、平民に金銭を施し、大衆の人気を固めた。彼はまた、権力の座につくことに乗り気ではないふりをした (裕福な元老院議員の一族と打算的な関係を築きはじめたときでさえ)。皮肉なことに、トラヤヌス帝が在位中に最も力を入れたのは、元老院の意思決定における伝統的特権を少しずつ奪っていくことだった。

トラヤヌス帝は建築に熱心で、ローマ市だけでなく帝国全土の工事計画を推進した。また、歴史が自分の名を忘れないよう、それらに自分の名前をつけることも好んだ。この結果、トラヤヌスの記念柱、トラヤヌスのフォルム、トラヤヌス橋、トラヤヌスの市場、アルカンタラ (スペイン) のトラヤヌス橋など、彼の名を冠するさまざまな道路や水道といった有用な建築物が各地に築かれた。また、ローマの勝利を祝う凱旋門へ出資することにも積極的だったが、東方でローマは勝利を繰り返していたので、その機会には事欠かなかった。

しかしトラヤヌスはむしろ、ローマ人には勝利の将軍として祝福された (結局のところ、民衆は積み上がった石などよりも土地と奴隷が増えることに興奮するのだ)。最初の遠征先はドナウ川にまたがる「従属」国ダキアだった。10年前、ドミティアヌス帝が平和を与えたことが、ローマにとっては不満だったのだ。トラヤヌス帝はダキアをすべて飲み込むと、すぐに別の厄介な従属国、ナバテア王国 (現在のヨルダン南部とサウジアラビア北西部) を併合した。西暦113年、不遜にもアルメニアの王を援助していた東方のパルティアに鉄槌を下すべく、トラヤヌス帝は最後の遠征を開始した。トラヤヌスはまずアルメニアに進軍してその領土を帝国に加えると、返す刀でメソポタミアへ侵攻してパルティアの都市や従属国を征服した。116年の終わりまでに遠征は完了し、トラヤヌスはパルティアの王を退位させ、ローマの傀儡を置いた。しかしここでトラヤヌス帝の健康状態が悪化しはじめる。さらに、小アジアをすべて征服する計画が完了する前に、厄介なユダヤ人が反乱を起こしたため、彼はローマ軍団を撤収させなければならなかった。

トラヤヌス帝はローマを空けることが多かったが、それでも存在感を示し、民衆を満足させてその支持を得た。好意的に受けとめられた業績の1つに、コロッセオでの3ヶ月に及ぶ剣闘士大会があった。1万1千人ほどの人間 (大半が奴隷や犯罪者だった) と数千頭の「獰猛な」獣が死に、のべ500万人を超す観客が訪れたとされている。また、それよりよっぽど慈悲深いものとして、ローマ市内外の恵まれない子供を支援するための政府基金、アリメンタを創設してもいる。多くのローマ市民の暮らしを改善するため、他にも皇帝はさまざまな施策をおこなった (イタリア半島の外では、必ずしもその恩恵にあずかれなかったが)。

こうした戦争や娯楽、公共の工事や事業には莫大な費用がかかった。そこでトラヤヌス帝は、即位すると経済危機への対処をはじめた。まずしたのは、コレクトル (監査官) を創設し、理論上は自由だったギリシャの都市の支出を監督させることだった。コレクトルには帝国の徴税を確実かつ公正に行わせる役目も負わせたが、これはギリシャにはびこる賄賂の伝統を考えれば賢明な判断であった。西暦107年にトラヤヌス帝はローマの通貨を切り下げ、デナリウス銀貨の銀の量を減らし、かつてないほど大量のデナリウス銀貨を鋳造した。トラヤヌスは浪費家だったが、彼の施策によってローマの財政は立ち直った。

病を患ったトラヤヌス帝は、パルティア遠征に区切りをつけ、ローマに向けて出発した。しかし、セリヌス (当然ながら、後にトラヤノポリスと改名) に到着したところで浮腫によって死去した。ベッドで死ぬというのは、ローマ皇帝には珍しい最期だ。トラヤヌスがこの世を去った時、ローマ帝国の領土は過去最大に達しており、その版図は東西はユーフラテス川からヒスパニアまで、南北はナイル川下流域からスコットランドの国境まで広がっていた。ハドリアヌス帝以降の後継者たちは、広がった国境を維持することにほとんどの時間を費やすことになる (バカ騒ぎに興じている時以外は) 。
icon_leader_trajan
分割して征服せよ!

特性

文明

設定

アジェンダ
大王志向
自分の領土を可能なかぎり広げようとし、小さな領土しか持たない文明を嫌う。
icon_leader_trajan
分割して征服せよ!

特性

文明

設定

アジェンダ
大王志向
自分の領土を可能なかぎり広げようとし、小さな領土しか持たない文明を嫌う。
固有能力

トラヤヌスの記念柱

すべての都市に最初から都心建造物 (太古の場合はモニュメント) が1つ追加されている。

概要
最大の帝国となるべく前進をつづけて迷う必要のない文明、それがローマです。トラヤヌスの心に刻まれているのは、ユリウス・カエサルの言葉、「来た、見た、勝った」なのです。
詳細説明
ローマは素早く都市を完成させ、工学の道を邁進することを目指します。工学を習得すると、浴場を築くことが可能となり、都市は急激に成長します (そして無償のトラヤヌスのモニュメントによって急激に拡大します) 。ローマが持つ「すべての道はローマへ通じる」能力は、都市のネットワークから安定した収入を生み出します (国内の都市から国外に続く 交易路でも十分に役に立ちます。すべての 交易路が国内交易路である必要はありません)。このような拡大策は他国との間に軋轢を生みますが、その頃にはレギオンが使えるようになっているでしょう。レギオンの要塞建設能力は、他の文明よりも2つ早い時代から利用可能となります。これらを有効に使うことが、強大な帝国を維持する鍵となるでしょう。
歴史的背景
平凡なネルヴァ帝の短い治世とハドリアヌス帝の治世に挟まれたトラヤヌス帝の時代、帝国の領土は最大となった。この有能な軍人皇帝は、元老院からオプティムス・プリンケプス (「最善の君主」) と正式に宣言されたが、これは心からの賛辞ではなく、おべっかの要素を多分に含んでいただろう。トラヤヌスは、(少なくとも他の大半の皇帝と比べて) 比較的慈悲深い統治によっても知られており、大規模な公共工事計画に着手し、将来を見据えた社会政策を実施したが、その政策の多くは西暦117年の彼の死後、近視眼的な元老院によって廃止された。彼は「五賢帝」の2番目に数えられているが、この言葉はマキャヴェッリが1503年に作ったものなので、額面どおりに受け取るわけにはいかないだろう。

西暦53年、ヒスパニア・バエティカ属州で、有力な元老院議員にして将軍の子として生まれたトラヤヌスは、純粋なローマ人ではなかった――だが、おそらくそれはむしろ幸いだった。若い頃に彼は軍に入ったが、これは (国境でほぼ休みなく起こっている紛争に生き残れば) 帝国では良い結果が得られることが多い経歴だった。トラヤヌスは非常に争いの多い辺境で従軍したので、またたくまに出世し、有力者たちから目をかけられるようになった。彼は執政官に任命され、結婚して裕福な一族の一員となり (ただし、当時の記録にはいくつかの不倫が記されている)、親衛隊の「進言」に従ったネルヴァ帝によってこの新たな皇帝の養子とされた。

老齢の皇帝が15ヶ月後に死去すると、トラヤヌスが後を継ぎ、すぐさまネルヴァ帝を神格化した (持つべきは有力者とのコネである)。ローマに入ったトラヤヌス帝は (即位当初はそれまでと同じく国境地帯にいた)、平民に金銭を施し、大衆の人気を固めた。彼はまた、権力の座につくことに乗り気ではないふりをした (裕福な元老院議員の一族と打算的な関係を築きはじめたときでさえ)。皮肉なことに、トラヤヌス帝が在位中に最も力を入れたのは、元老院の意思決定における伝統的特権を少しずつ奪っていくことだった。

トラヤヌス帝は建築に熱心で、ローマ市だけでなく帝国全土の工事計画を推進した。また、歴史が自分の名を忘れないよう、それらに自分の名前をつけることも好んだ。この結果、トラヤヌスの記念柱、トラヤヌスのフォルム、トラヤヌス橋、トラヤヌスの市場、アルカンタラ (スペイン) のトラヤヌス橋など、彼の名を冠するさまざまな道路や水道といった有用な建築物が各地に築かれた。また、ローマの勝利を祝う凱旋門へ出資することにも積極的だったが、東方でローマは勝利を繰り返していたので、その機会には事欠かなかった。

しかしトラヤヌスはむしろ、ローマ人には勝利の将軍として祝福された (結局のところ、民衆は積み上がった石などよりも土地と奴隷が増えることに興奮するのだ)。最初の遠征先はドナウ川にまたがる「従属」国ダキアだった。10年前、ドミティアヌス帝が平和を与えたことが、ローマにとっては不満だったのだ。トラヤヌス帝はダキアをすべて飲み込むと、すぐに別の厄介な従属国、ナバテア王国 (現在のヨルダン南部とサウジアラビア北西部) を併合した。西暦113年、不遜にもアルメニアの王を援助していた東方のパルティアに鉄槌を下すべく、トラヤヌス帝は最後の遠征を開始した。トラヤヌスはまずアルメニアに進軍してその領土を帝国に加えると、返す刀でメソポタミアへ侵攻してパルティアの都市や従属国を征服した。116年の終わりまでに遠征は完了し、トラヤヌスはパルティアの王を退位させ、ローマの傀儡を置いた。しかしここでトラヤヌス帝の健康状態が悪化しはじめる。さらに、小アジアをすべて征服する計画が完了する前に、厄介なユダヤ人が反乱を起こしたため、彼はローマ軍団を撤収させなければならなかった。

トラヤヌス帝はローマを空けることが多かったが、それでも存在感を示し、民衆を満足させてその支持を得た。好意的に受けとめられた業績の1つに、コロッセオでの3ヶ月に及ぶ剣闘士大会があった。1万1千人ほどの人間 (大半が奴隷や犯罪者だった) と数千頭の「獰猛な」獣が死に、のべ500万人を超す観客が訪れたとされている。また、それよりよっぽど慈悲深いものとして、ローマ市内外の恵まれない子供を支援するための政府基金、アリメンタを創設してもいる。多くのローマ市民の暮らしを改善するため、他にも皇帝はさまざまな施策をおこなった (イタリア半島の外では、必ずしもその恩恵にあずかれなかったが)。

こうした戦争や娯楽、公共の工事や事業には莫大な費用がかかった。そこでトラヤヌス帝は、即位すると経済危機への対処をはじめた。まずしたのは、コレクトル (監査官) を創設し、理論上は自由だったギリシャの都市の支出を監督させることだった。コレクトルには帝国の徴税を確実かつ公正に行わせる役目も負わせたが、これはギリシャにはびこる賄賂の伝統を考えれば賢明な判断であった。西暦107年にトラヤヌス帝はローマの通貨を切り下げ、デナリウス銀貨の銀の量を減らし、かつてないほど大量のデナリウス銀貨を鋳造した。トラヤヌスは浪費家だったが、彼の施策によってローマの財政は立ち直った。

病を患ったトラヤヌス帝は、パルティア遠征に区切りをつけ、ローマに向けて出発した。しかし、セリヌス (当然ながら、後にトラヤノポリスと改名) に到着したところで浮腫によって死去した。ベッドで死ぬというのは、ローマ皇帝には珍しい最期だ。トラヤヌスがこの世を去った時、ローマ帝国の領土は過去最大に達しており、その版図は東西はユーフラテス川からヒスパニアまで、南北はナイル川下流域からスコットランドの国境まで広がっていた。ハドリアヌス帝以降の後継者たちは、広がった国境を維持することにほとんどの時間を費やすことになる (バカ騒ぎに興じている時以外は) 。