コンセプト
文明/指導者
都市国家
区域
建造物
遺産とプロジェクト
ユニット
ユニットのレベルアップ
偉人
技術
社会制度
政府と政策
宗教
地形と特徴
資源
施設と道路
総督
歴史的瞬間
ソンドク
固有能力

花郎

総督が着任しているすべての都市の 文化力と 科学力が、獲得しているレベルアップ1つにつき+3% (最初のレベルアップを含む)。

概要
韓国にとって 科学力の追求は、世界で最も技術の進んだ文明になれるだけでなく、他にもたくさんのメリットがあります。
詳細説明
固有の科学区域である「書院」は、韓国にとって最も強力な財産となります。そのために重要なのは、「筆記」技術を早めに完成させることです。書院の特性を最大限に活かすため、配置する場所は慎重に検討しましょう。書院を他の区域から離すと、 科学力ブーストが最大化されます。さらに、農場と鉱山を隣接させれば、 食料と 科学力の産出が増えます。こうしたメリットを効果的に組み合わせることで、都市の産出力は大きく高まります。文化力の増大も無視できません。総督を獲得して都市に配属すると、産出はさらに増えるので、各主要都市には総督を任命するのが得策です。
歴史的背景
王位につくのは簡単なことではない。たとえそれが平和な時代であってもだ。古代朝鮮の新羅において女性が権力を握った例は以前にもあったが、ソンドクは女王として王国を治めた最初の女性となった。15年にわたる彼女の治世は、女性が王となる前例を作っただけでなく、実り多く、じつに洗練されたものだった。

ソンドクの父、真平王には男の後継者がいなかった。何人かいた娘のなかから、真平王はソンドクを後継者に選んだ。彼女が幼少期からすぐれた直感を示していたためである。真偽の不確かな話だが、真平王は中国から牡丹の種を贈られたことがあった。種が入っていた箱には、満開の花の絵が描かれていた。幼いソンドクは、美しい花だが香りがないと言って残念がった。なぜそう思ったか真平王が訊ねると、ソンドクは「香りのある花なら、それに惹かれたチョウやハチも描かれているだろうから」と説明した。実際に種を育ててみると、満開に咲いた花には香りがなかったという。

真平王の死を受け、ソンドクは西暦632年に即位する。新羅の貴族の一部には、王ではなく女王に従うことを不服に思う者もいたが、彼女の知恵と明晰な判断はすでに証明されていたため、そうした不満はじきに静まった。さらには、骨品制 (西洋の「青い血」に似た概念) の問題もあった。ソンドクの即位に反対することは骨品制に反対することであり、それは新羅の貴族制度を根本から覆すことに他ならなかったのだ。

ソンドクが女王として優先したのは、新羅の人々の生活を向上させるため、効果的な福祉政策で貧困層を救うことだった。また、教育に並々ならぬ力を注ぎ、結果として芸術と科学の知識が飛躍的に発展した。慶州瞻星台という天文観測所が新羅の首都に設けられたのもこの頃とされている。仏教はすでに新羅の国教になっていたが、ソンドクの治世に政府や社会にさらに浸透する。数々の仏教寺院が復元され、新羅は新たな寺院の建設にも着手した。

内政は大きく発展したものの、ソンドク女王の統治は必ずしも平和に恵まれなかった。絶え間ない内乱や、隣国である高句麗や百済との抗争が統治を脅かしたのだ。有為転変の激しい、荒々しく、えてして力が物を言う外交情勢の中で、彼女は慎重な政策により国の舵取りをした。西暦641年に百済が問題になると、女王は高句麗に助けを求めた。交渉が決裂すると、捕虜になった外交官を取り戻すため、ソンドクは1万の兵を派遣した。

武力による威嚇と交渉を巧みに使い分けるソンドクの能力は、高句麗と百済が連合して新羅を攻めた際、中国の唐王朝と同盟を結ぶという形でいかんなく発揮された。唐との同盟は、ソンドク最大の政治的功績である。ソンドクは唐の軍事支援を取り付ける一方で、彼女が女王の座を降りて唐の王子に新羅を統治させるべきだとの要求を断った。

西暦647年に逝去するまで、ソンドクは情勢に巧みに対応しつつ新羅を治めた。その知恵は、戦乱の嵐が吹き荒れる難しい時代に、民をその嵐から守った。敵を互いに争わせることで、彼女は新羅の生き残りと繁栄を実現した。朝鮮半島の統一を生きて目にすることはなかったが、ソンドクの巧みな交渉術は、668年までに百済と高句麗が敗北する条件を整えたのである。
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香りのない花は、目を引きこそすれ、人の心を動かすことはない。

特性

文明

設定

アジェンダ
慶州瞻星台
科学力を高めようとし、同じように 科学力を重視する文明を好む。 科学力を軽視する文明を嫌う。
宗教
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香りのない花は、目を引きこそすれ、人の心を動かすことはない。

特性

文明

設定

アジェンダ
慶州瞻星台
科学力を高めようとし、同じように 科学力を重視する文明を好む。 科学力を軽視する文明を嫌う。
宗教
固有能力

花郎

総督が着任しているすべての都市の 文化力と 科学力が、獲得しているレベルアップ1つにつき+3% (最初のレベルアップを含む)。

概要
韓国にとって 科学力の追求は、世界で最も技術の進んだ文明になれるだけでなく、他にもたくさんのメリットがあります。
詳細説明
固有の科学区域である「書院」は、韓国にとって最も強力な財産となります。そのために重要なのは、「筆記」技術を早めに完成させることです。書院の特性を最大限に活かすため、配置する場所は慎重に検討しましょう。書院を他の区域から離すと、 科学力ブーストが最大化されます。さらに、農場と鉱山を隣接させれば、 食料と 科学力の産出が増えます。こうしたメリットを効果的に組み合わせることで、都市の産出力は大きく高まります。文化力の増大も無視できません。総督を獲得して都市に配属すると、産出はさらに増えるので、各主要都市には総督を任命するのが得策です。
歴史的背景
王位につくのは簡単なことではない。たとえそれが平和な時代であってもだ。古代朝鮮の新羅において女性が権力を握った例は以前にもあったが、ソンドクは女王として王国を治めた最初の女性となった。15年にわたる彼女の治世は、女性が王となる前例を作っただけでなく、実り多く、じつに洗練されたものだった。

ソンドクの父、真平王には男の後継者がいなかった。何人かいた娘のなかから、真平王はソンドクを後継者に選んだ。彼女が幼少期からすぐれた直感を示していたためである。真偽の不確かな話だが、真平王は中国から牡丹の種を贈られたことがあった。種が入っていた箱には、満開の花の絵が描かれていた。幼いソンドクは、美しい花だが香りがないと言って残念がった。なぜそう思ったか真平王が訊ねると、ソンドクは「香りのある花なら、それに惹かれたチョウやハチも描かれているだろうから」と説明した。実際に種を育ててみると、満開に咲いた花には香りがなかったという。

真平王の死を受け、ソンドクは西暦632年に即位する。新羅の貴族の一部には、王ではなく女王に従うことを不服に思う者もいたが、彼女の知恵と明晰な判断はすでに証明されていたため、そうした不満はじきに静まった。さらには、骨品制 (西洋の「青い血」に似た概念) の問題もあった。ソンドクの即位に反対することは骨品制に反対することであり、それは新羅の貴族制度を根本から覆すことに他ならなかったのだ。

ソンドクが女王として優先したのは、新羅の人々の生活を向上させるため、効果的な福祉政策で貧困層を救うことだった。また、教育に並々ならぬ力を注ぎ、結果として芸術と科学の知識が飛躍的に発展した。慶州瞻星台という天文観測所が新羅の首都に設けられたのもこの頃とされている。仏教はすでに新羅の国教になっていたが、ソンドクの治世に政府や社会にさらに浸透する。数々の仏教寺院が復元され、新羅は新たな寺院の建設にも着手した。

内政は大きく発展したものの、ソンドク女王の統治は必ずしも平和に恵まれなかった。絶え間ない内乱や、隣国である高句麗や百済との抗争が統治を脅かしたのだ。有為転変の激しい、荒々しく、えてして力が物を言う外交情勢の中で、彼女は慎重な政策により国の舵取りをした。西暦641年に百済が問題になると、女王は高句麗に助けを求めた。交渉が決裂すると、捕虜になった外交官を取り戻すため、ソンドクは1万の兵を派遣した。

武力による威嚇と交渉を巧みに使い分けるソンドクの能力は、高句麗と百済が連合して新羅を攻めた際、中国の唐王朝と同盟を結ぶという形でいかんなく発揮された。唐との同盟は、ソンドク最大の政治的功績である。ソンドクは唐の軍事支援を取り付ける一方で、彼女が女王の座を降りて唐の王子に新羅を統治させるべきだとの要求を断った。

西暦647年に逝去するまで、ソンドクは情勢に巧みに対応しつつ新羅を治めた。その知恵は、戦乱の嵐が吹き荒れる難しい時代に、民をその嵐から守った。敵を互いに争わせることで、彼女は新羅の生き残りと繁栄を実現した。朝鮮半島の統一を生きて目にすることはなかったが、ソンドクの巧みな交渉術は、668年までに百済と高句麗が敗北する条件を整えたのである。