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歴史的瞬間
グレース・ホッパー
歴史的背景
1906年にグレース・ブリュースター・マレーの名でニューヨークに生まれたホッパーは、生涯、艦長や基地司令官の地位に就いたことも、実戦に参加したことも、士官学校の教官となったこともなかった。しかし退役したときの彼女の階級は、アメリカ海軍准将 (元は代将だったが、1985年に階級名が改称されたため准将となった) である。

ヴァッサー大学で数学と物理を学んだ後、1928年にイェール大学大学院へと進学。1930年に修士号を取得する。同年、ヴィンセント・ホッパーと結婚。1934年にはイェールで数学の博士号を取得した。やがて第二次世界大戦が勃発すると、ホッパーはすぐさま軍隊に飛び込みはしなかったものの、1943年12月には海軍予備役となっている。海軍を選んだのは、父親が務めていたからという単純な理由だった。そしてホッパーはそれまでの経歴を買われ、ハーバード大学で進められていた兵器局のコンピューター計画に参加。プログラミングスタッフの一員として、自動シーケンス制御計算機 ――より有名な名前は「ハーバード・マークI」――の開発に携わることになる。

戦争終結後もホッパーは予備役としてハーバードに残り、マークIIやマークIIIの開発に従事した。1949年には民間企業に活動の場を移し、最初はエッカート・モークリー・コンピューター社、次にレミントン・ランド社に勤務。後にはCOBOLの前身となる世界初のコンパイラの開発に (発案者としてではないものの) 携わった。1966年に海軍予備役を退役したが、その後呼び戻され、軍で使用するコンピューター言語の標準化に尽力する。

1973年に大佐に昇格。1983年には、下院議員のフィリップ・クレーンの熱心な支持により、ホッパーを代将に昇進させるよう求める共同決議が議会で採択される。1992年、ホッパーはバージニア州で死去した。
固有能力

退職 (チャージ1)

原子力時代または情報時代の1つのランダムな技術に対して ひらめきを発動する。

パッシブ効果

2タイル以内にいる原子力時代および情報時代の海洋
ユニットの 戦闘力+5、 移動力+1。

PortraitSquare
icon_unit_great_admiral

特性

原子力時代
大提督
PortraitSquare
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歴史的背景
1906年にグレース・ブリュースター・マレーの名でニューヨークに生まれたホッパーは、生涯、艦長や基地司令官の地位に就いたことも、実戦に参加したことも、士官学校の教官となったこともなかった。しかし退役したときの彼女の階級は、アメリカ海軍准将 (元は代将だったが、1985年に階級名が改称されたため准将となった) である。

ヴァッサー大学で数学と物理を学んだ後、1928年にイェール大学大学院へと進学。1930年に修士号を取得する。同年、ヴィンセント・ホッパーと結婚。1934年にはイェールで数学の博士号を取得した。やがて第二次世界大戦が勃発すると、ホッパーはすぐさま軍隊に飛び込みはしなかったものの、1943年12月には海軍予備役となっている。海軍を選んだのは、父親が務めていたからという単純な理由だった。そしてホッパーはそれまでの経歴を買われ、ハーバード大学で進められていた兵器局のコンピューター計画に参加。プログラミングスタッフの一員として、自動シーケンス制御計算機 ――より有名な名前は「ハーバード・マークI」――の開発に携わることになる。

戦争終結後もホッパーは予備役としてハーバードに残り、マークIIやマークIIIの開発に従事した。1949年には民間企業に活動の場を移し、最初はエッカート・モークリー・コンピューター社、次にレミントン・ランド社に勤務。後にはCOBOLの前身となる世界初のコンパイラの開発に (発案者としてではないものの) 携わった。1966年に海軍予備役を退役したが、その後呼び戻され、軍で使用するコンピューター言語の標準化に尽力する。

1973年に大佐に昇格。1983年には、下院議員のフィリップ・クレーンの熱心な支持により、ホッパーを代将に昇進させるよう求める共同決議が議会で採択される。1992年、ホッパーはバージニア州で死去した。

特性

原子力時代
大提督
固有能力

退職 (チャージ1)

原子力時代または情報時代の1つのランダムな技術に対して ひらめきを発動する。

パッシブ効果

2タイル以内にいる原子力時代および情報時代の海洋
ユニットの 戦闘力+5、 移動力+1。