コンセプト
文明/指導者
都市国家
区域
建造物
遺産とプロジェクト
ユニット
ユニットのレベルアップ
偉人
技術
社会制度
政府と政策
宗教
地形と特徴
資源
施設と道路
総督
歴史的瞬間

イントロダクション

大音楽家

大科学者

大技術者

大芸術家

大司令官

大商人

大将軍

大著述家

大提督

大預言者

アッシジのフランチェスコ

エイレナイオス

ゴータマ・シッダールタ

シモン・ペテロ

シャンカラ

ゾロアスター

ソンツェン・ガンポ

トマス・アクィナス

ハジ・フード

マドバ・アチャリヤ

マルティン・ルター

孔子

洗礼者ヨハネ

太安万侶

達磨

老子

アッシジのフランチェスコ
歴史的背景
裕福な暮らしを捨てて信仰に身を捧げる。そんな生き方を選ぶ者たちも世の中にはいるものだ。1182年にイタリアのアッシジの裕福な家庭に生を受け、勝手気ままな生活を送っていたフランチェスコは、軍隊に入る道を選ぶ。
1201年、ペルージャとの戦いに参加したフランチェスコは敵の捕虜となり、身代金が支払われるのを待って1年間を牢獄で過ごしたのだが、どうやらそこで最初の「神の啓示」を受けたらしい。キリストの声を聞き、清貧に生きて教会を修復するよう諭されたというフランチェスコだが、いざ釈放されるとあっさり元の気ままな暮らしに戻っていった。

教会の記録によると、1205年にフランチェスコはブリエンヌ伯の軍に入隊しようと出立し、その道中でハンセン病患者と出会ったという。その患者を、道徳心を映し出す鏡だと考えたのか、あるいはいかにもカトリック信者らしくキリストが仮の姿をとって現れたものだと思ったのかはわからないが、フランチェスコは相手を抱擁して接吻し、アッシジに戻るとそれまでの自堕落な生活を改め、財産もすべて捨て去った。それからというもの、フランチェスコは日に何時間も瞑想し、町中で説教をしてまわり (動物にさえ説教した)、朽ちかけた礼拝堂を修復し、ハンセン病患者のために奉仕活動をするようになった。「神が心に触れたのだ」と言う者たちもいれば、「単に気が触れたのだ」と考える者たち (彼の家族を含む) もいた。

やがて、同じように心を触れられた者たちが、自然とフランチェスコのまわりに集まるようになった。マタイ福音書10章9節についての説教を聞いて感銘を受けたフランチェスコと信者たちは、1209年、新しい修道会を開く許可を得るためにローマ巡礼の旅に出る。この剃髪した奇妙な一団はやがてローマ教皇に認められ、フランチェスコは助祭に任命された。こうしてできたのがフランチェスコ会である。それから数十年の間、フランチェスコは説教をおこなう以外にも精力的に活動した。1211年に女子修道会クララ会を設立。1215年に第4ラテラノ公会議に出席。
1219年にはエジプトのスルタンにキリスト教に改宗するよう働きかけ、1220年には聖地を訪れた。そして1224年、彼のもとを天使が訪れ、フランチェスコはイエス・キリストの聖痕を受ける――疑い深い者たちは、聖痕とされる傷に関する記録にハンセン病の症状との類似点が見られることを指摘しているが。

アッシジのフランチェスコは1226年10月に44歳で世を去り、カトリック教会は1228年、すみやかに彼を聖人に認定した (通例、列聖には数十年から数百年を要するのだ)。
固有能力
聖地またはストーンヘンジで発動。
PortraitSquare
icon_unit_great_prophet

特性

ルネサンス時代
大預言者
PortraitSquare
icon_unit_great_prophet
歴史的背景
裕福な暮らしを捨てて信仰に身を捧げる。そんな生き方を選ぶ者たちも世の中にはいるものだ。1182年にイタリアのアッシジの裕福な家庭に生を受け、勝手気ままな生活を送っていたフランチェスコは、軍隊に入る道を選ぶ。
1201年、ペルージャとの戦いに参加したフランチェスコは敵の捕虜となり、身代金が支払われるのを待って1年間を牢獄で過ごしたのだが、どうやらそこで最初の「神の啓示」を受けたらしい。キリストの声を聞き、清貧に生きて教会を修復するよう諭されたというフランチェスコだが、いざ釈放されるとあっさり元の気ままな暮らしに戻っていった。

教会の記録によると、1205年にフランチェスコはブリエンヌ伯の軍に入隊しようと出立し、その道中でハンセン病患者と出会ったという。その患者を、道徳心を映し出す鏡だと考えたのか、あるいはいかにもカトリック信者らしくキリストが仮の姿をとって現れたものだと思ったのかはわからないが、フランチェスコは相手を抱擁して接吻し、アッシジに戻るとそれまでの自堕落な生活を改め、財産もすべて捨て去った。それからというもの、フランチェスコは日に何時間も瞑想し、町中で説教をしてまわり (動物にさえ説教した)、朽ちかけた礼拝堂を修復し、ハンセン病患者のために奉仕活動をするようになった。「神が心に触れたのだ」と言う者たちもいれば、「単に気が触れたのだ」と考える者たち (彼の家族を含む) もいた。

やがて、同じように心を触れられた者たちが、自然とフランチェスコのまわりに集まるようになった。マタイ福音書10章9節についての説教を聞いて感銘を受けたフランチェスコと信者たちは、1209年、新しい修道会を開く許可を得るためにローマ巡礼の旅に出る。この剃髪した奇妙な一団はやがてローマ教皇に認められ、フランチェスコは助祭に任命された。こうしてできたのがフランチェスコ会である。それから数十年の間、フランチェスコは説教をおこなう以外にも精力的に活動した。1211年に女子修道会クララ会を設立。1215年に第4ラテラノ公会議に出席。
1219年にはエジプトのスルタンにキリスト教に改宗するよう働きかけ、1220年には聖地を訪れた。そして1224年、彼のもとを天使が訪れ、フランチェスコはイエス・キリストの聖痕を受ける――疑い深い者たちは、聖痕とされる傷に関する記録にハンセン病の症状との類似点が見られることを指摘しているが。

アッシジのフランチェスコは1226年10月に44歳で世を去り、カトリック教会は1228年、すみやかに彼を聖人に認定した (通例、列聖には数十年から数百年を要するのだ)。

特性

ルネサンス時代
大預言者
固有能力
聖地またはストーンヘンジで発動。
言語
ルールセットを選択
Get it on App StoreGet it on Google Play
著作権個人情報保護ポリシー