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スタンフォード・ラッフルズ

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メアリー・キャサリン・ゴダード

メリタ・ベンツ

ヤコブ・フッガー

ラージャ・トーダル・マル

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井深大

周達観

張騫

大将軍

大著述家

大提督

大預言者

スタンフォード・ラッフルズ
歴史的背景
かつて植民地だった国の中には、植民地時代の過去を嫌い、占領者の名前をなかったことにしようとしているところもある。シンガポールも植民地時代を経て独立した国だが、そうした態度とは一線を画している。この島嶼都市国家には、イギリス東インド会社の副総督にしてこの都市を築いたと伝えられるスタンフォード・ラッフルズ卿を偲ぶものが、今もあちこちに見受けられる。

当時の植民地統治は、19世紀後半に常態となった明らかな軍事支配と異なり、半植民地的な扱いに留める場合が少なくなかった。金を進んで受け取ったかどうかに多少の差異はあるが、スルタンが買収されて物言わぬ傀儡国家になったところもあれば 、自発的に植民地化を希望したところや、クーデターや軍による政権奪取が起きたところもあった。特にイギリスは、贅沢品や社会基盤の整備といったアメで統治者を誘惑し、相手が金を出せなくなると土地を要求するという手をよく使った。

ラッフルズは典型的な植民地時代の人物で、「冒険家」という形容がふさわしい男だった。つまりスパイにして軍事指導者で、外交官であり商人でもあった。ラッフルズは1781年、イギリスの植民地だったジャマイカ沖の船上で生まれた。成長した彼は、東インド会社の職員として働きはじめ、若くしてマラヤに赴任する。当時のマラヤは独立国であるシャム (タイ) とオランダの支配下にあるインドネシアの島々に挟まれた半島に位置するスルタン国だった。イギリスはオランダが香辛料貿易で得ていた利潤を削ぎ、インドから中国に向かう船の航路を確保したいと考えていたが、その一方でヨーロッパに禍根をもたらしかねない戦争を起こすことには慎重だった。

しかし、ナポレオンはそんなことに頓着しなかった。フランスがオランダを占領すると、東南アジアのオランダ領は突如として格好の獲物となった。ラッフルズはオランダからジャワを奪い、オランダ領東インドの副総督に任命された。しかしイギリスによるこの統治は、ナポレオンが敗れてオランダに新政権が誕生するまでの短い期間で終わった。

とはいえ、ラッフルズを最も有名にしたのは、やはりシンガポールでの活躍だろう。マラッカ海峡に面しながらオランダの支配が届かない立地にあるこの島は、とても都合の良い場所だった。当時のシンガポールは今のような大都市ではなく、名目上はジョホール王国に属する小さな漁村にすぎなかった。しかし、実質的な主権は疑わしかった。前スルタンは逝去したばかりで、不在にしていた上の息子は王位を継げず、即位したのが下の息子とあってはなおさらだ。ラッフルはジョホールのクーデターを画策し、自分と通じた兄を王位につけた。その見返りに、島の支配権が1819年にイギリスへ与えられた。

島は大きく発展し、大英帝国全土から労働力が集まった。今日のシンガポールを構成しているのは、このとき働き手としてやってきた中国の商人、中国や南インドの労働者、先住のマレー人などの子孫だ。オランダは東南アジアで存在感を維持していたが、シンガポールは、イギリスがこの地域に地歩を築き、香港とインドを結ぶ中継地としてこの交易路を支配下に置くうえで重要な役割を果たした。世界で最も交通量が多く、最も重要な海峡に位置する多民族港湾都市となった現代のシンガポールは、ある意味ではラッフルズが思い描いた理想に近いのかもしれない。
固有能力

発動効果 (チャージ1)

この都市国家を帝国に吸収する。都市のターン毎の忠誠心+10。

PortraitSquare
icon_unit_great_merchant

特性

近代
大商人
PortraitSquare
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歴史的背景
かつて植民地だった国の中には、植民地時代の過去を嫌い、占領者の名前をなかったことにしようとしているところもある。シンガポールも植民地時代を経て独立した国だが、そうした態度とは一線を画している。この島嶼都市国家には、イギリス東インド会社の副総督にしてこの都市を築いたと伝えられるスタンフォード・ラッフルズ卿を偲ぶものが、今もあちこちに見受けられる。

当時の植民地統治は、19世紀後半に常態となった明らかな軍事支配と異なり、半植民地的な扱いに留める場合が少なくなかった。金を進んで受け取ったかどうかに多少の差異はあるが、スルタンが買収されて物言わぬ傀儡国家になったところもあれば 、自発的に植民地化を希望したところや、クーデターや軍による政権奪取が起きたところもあった。特にイギリスは、贅沢品や社会基盤の整備といったアメで統治者を誘惑し、相手が金を出せなくなると土地を要求するという手をよく使った。

ラッフルズは典型的な植民地時代の人物で、「冒険家」という形容がふさわしい男だった。つまりスパイにして軍事指導者で、外交官であり商人でもあった。ラッフルズは1781年、イギリスの植民地だったジャマイカ沖の船上で生まれた。成長した彼は、東インド会社の職員として働きはじめ、若くしてマラヤに赴任する。当時のマラヤは独立国であるシャム (タイ) とオランダの支配下にあるインドネシアの島々に挟まれた半島に位置するスルタン国だった。イギリスはオランダが香辛料貿易で得ていた利潤を削ぎ、インドから中国に向かう船の航路を確保したいと考えていたが、その一方でヨーロッパに禍根をもたらしかねない戦争を起こすことには慎重だった。

しかし、ナポレオンはそんなことに頓着しなかった。フランスがオランダを占領すると、東南アジアのオランダ領は突如として格好の獲物となった。ラッフルズはオランダからジャワを奪い、オランダ領東インドの副総督に任命された。しかしイギリスによるこの統治は、ナポレオンが敗れてオランダに新政権が誕生するまでの短い期間で終わった。

とはいえ、ラッフルズを最も有名にしたのは、やはりシンガポールでの活躍だろう。マラッカ海峡に面しながらオランダの支配が届かない立地にあるこの島は、とても都合の良い場所だった。当時のシンガポールは今のような大都市ではなく、名目上はジョホール王国に属する小さな漁村にすぎなかった。しかし、実質的な主権は疑わしかった。前スルタンは逝去したばかりで、不在にしていた上の息子は王位を継げず、即位したのが下の息子とあってはなおさらだ。ラッフルはジョホールのクーデターを画策し、自分と通じた兄を王位につけた。その見返りに、島の支配権が1819年にイギリスへ与えられた。

島は大きく発展し、大英帝国全土から労働力が集まった。今日のシンガポールを構成しているのは、このとき働き手としてやってきた中国の商人、中国や南インドの労働者、先住のマレー人などの子孫だ。オランダは東南アジアで存在感を維持していたが、シンガポールは、イギリスがこの地域に地歩を築き、香港とインドを結ぶ中継地としてこの交易路を支配下に置くうえで重要な役割を果たした。世界で最も交通量が多く、最も重要な海峡に位置する多民族港湾都市となった現代のシンガポールは、ある意味ではラッフルズが思い描いた理想に近いのかもしれない。

特性

近代
大商人
固有能力

発動効果 (チャージ1)

この都市国家を帝国に吸収する。都市のターン毎の忠誠心+10。

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