紅海と死海の間に位置するぺトラは、紀元前400年頃にナバテア人がワディ・ムーサ (現在のヨルダンの一部) 一帯の赤色砂岩を切り開いて作った都市である (岩を切り開くなど、当時の人々はよほど暇を持て余していたに違いない)。エジプト人やギリシャ人の文書、それに聖書の中でも言及されているこの都市は、キャラバンの集まる場所となり、アラビア、エジプト、そして北のシリアを結ぶ重要な中継点となった。周囲を山に囲まれ、切り立った渓谷が道となっているため、ここは天然の要害でもあったが、それにも増してこの街を交易の中心地たらしめていたのは、砂漠の真っただ中であるにもかかわらず貯水が可能な、広範囲をカバーする精巧なシステムが確立されていたからである。最盛期のぺトラには2万人ほどの住民が暮らし、ナバテア王国の首都として繁栄していたが、それも西暦106年にローマ帝国に併合されたことで終わりを告げた。その後のペトラは、数度の地震とローマ帝国による重税に苦しめられ、200年後には実質的に放棄されてしまう。そして1812年にスイス人の探検家ヨハン・ブルクハルトによって発見されるまで、人々の記憶から忘れ去られることとなったのである。