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ユニットのレベルアップ
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施設と道路
総督
歴史的瞬間
バレッタ
固有能力

軍事的な都市国家

1 代表団: ユニット生産時、 首都の 生産力+2。
3 代表団: ユニットの生産時、すべての兵舎の 生産力+2。
6 代表団: ユニットの生産時、すべての武器庫の 生産力+2。

宗主国ボーナス バレッタ

都心および兵営区域の建造物を 信仰力で購入可能。太古、中世、ルネサンス時代の防壁の購入費が軽減されるが、 信仰力でしか購入できない。

歴史的背景
マルタ共和国の都市であるバレッタは、1566年、「ロードスおよびマルタにおけるエルサレムの聖ヨハネ病院独立騎士修道会 (ホスピタル騎士団) 」第49代総長、ジャン・パリゾ・ド・ラ・バレットによって建設された。この前年、ホスピタル騎士団はオスマン帝国によるマルタ島への包囲攻撃と侵攻を撃退している (マルタ島は1530年、スペインのカルロス5世によってオスマン帝国の侵略に対する防波堤として騎士団に与えられていた)。

新たな都市を築き、島の守りを固めるため、バレットはキリスト教国の王侯に助力を求め、そして援助はやってきた。言うまでもなく王たちは、イスラム教徒の侵略に自分たちの兵や船で抗うより、熱心な軍人に戦わせたほうが良いと考えていた。教皇ピウス5世はお抱えの軍事建築士を送って砦を設計させ、スペインのフェリペ2世は船と武器を提供した。他の者は多額の金銭を寄付し、教会や兵舎、港の建設を手助けした。

優れた港を備え、戦略的な要地にあるこの街は、何世紀にも及ぶ、第二次世界大戦までつづく長い戦いの歴史を経験することになる。騎士団はキリスト教圏のヨーロッパからレバントを結ぶ地中海の海路を警護し、バルバリアの私掠船や他の海賊と戦う任務に就いた。また、キリスト教徒の奴隷を解放するためにも戦い、そのために主にオスマン帝国の船に乗り込み戦闘を挑んだ。しかし、ジェノヴァやヴェネツィア、ピサといった都市国家の台頭と、その後に起きたプロテスタント革命により、バレッタはパトロンの多くを失うことになった。

そのため、1798年にナポレオンがエジプト遠征の途中でマルタ島を占領した際、まともに関心を示したのはナポリとイギリスくらいだった。数年後、マルタ人がこのフランスの独裁者に反乱を起こして勝利すると、反乱軍の指導者は島をイギリスに譲り渡して大英帝国の領土に加わることを願いでた。1814年のパリ条約によってイギリスの支配権が認められ、1964年に独立するまでマルタ島はその庇護下に置かれた。
PortraitSquare
icon_civilization_valletta

都市国家の種類

icon_citystate_militaristic
軍事重視
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軍事重視
固有能力

軍事的な都市国家

1 代表団: ユニット生産時、 首都の 生産力+2。
3 代表団: ユニットの生産時、すべての兵舎の 生産力+2。
6 代表団: ユニットの生産時、すべての武器庫の 生産力+2。

宗主国ボーナス バレッタ

都心および兵営区域の建造物を 信仰力で購入可能。太古、中世、ルネサンス時代の防壁の購入費が軽減されるが、 信仰力でしか購入できない。

歴史的背景
マルタ共和国の都市であるバレッタは、1566年、「ロードスおよびマルタにおけるエルサレムの聖ヨハネ病院独立騎士修道会 (ホスピタル騎士団) 」第49代総長、ジャン・パリゾ・ド・ラ・バレットによって建設された。この前年、ホスピタル騎士団はオスマン帝国によるマルタ島への包囲攻撃と侵攻を撃退している (マルタ島は1530年、スペインのカルロス5世によってオスマン帝国の侵略に対する防波堤として騎士団に与えられていた)。

新たな都市を築き、島の守りを固めるため、バレットはキリスト教国の王侯に助力を求め、そして援助はやってきた。言うまでもなく王たちは、イスラム教徒の侵略に自分たちの兵や船で抗うより、熱心な軍人に戦わせたほうが良いと考えていた。教皇ピウス5世はお抱えの軍事建築士を送って砦を設計させ、スペインのフェリペ2世は船と武器を提供した。他の者は多額の金銭を寄付し、教会や兵舎、港の建設を手助けした。

優れた港を備え、戦略的な要地にあるこの街は、何世紀にも及ぶ、第二次世界大戦までつづく長い戦いの歴史を経験することになる。騎士団はキリスト教圏のヨーロッパからレバントを結ぶ地中海の海路を警護し、バルバリアの私掠船や他の海賊と戦う任務に就いた。また、キリスト教徒の奴隷を解放するためにも戦い、そのために主にオスマン帝国の船に乗り込み戦闘を挑んだ。しかし、ジェノヴァやヴェネツィア、ピサといった都市国家の台頭と、その後に起きたプロテスタント革命により、バレッタはパトロンの多くを失うことになった。

そのため、1798年にナポレオンがエジプト遠征の途中でマルタ島を占領した際、まともに関心を示したのはナポリとイギリスくらいだった。数年後、マルタ人がこのフランスの独裁者に反乱を起こして勝利すると、反乱軍の指導者は島をイギリスに譲り渡して大英帝国の領土に加わることを願いでた。1814年のパリ条約によってイギリスの支配権が認められ、1964年に独立するまでマルタ島はその庇護下に置かれた。