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宗教

文化

アユタヤ

アンタナナリボ

ヴィルニュス

カグアナ

クマシ

ナン・マドール

モヘンジョ・ダロ

ラパ・ヌイ

ナン・マドール
固有能力

文化的な都市国家

1 代表団: 首都の 文化力+2。
3 代表団: すべての円形闘技場の 文化力+2。
6 代表団: すべての美術館と考古博物館の 文化力+2。

宗主国ボーナス ナン・マドール

沿岸/湖タイル上、あるいはそうしたタイルに隣接している区域の 文化力+2。

歴史的背景
考古学者や歴史学者のほとんどは、ミクロネシアのポンペイ島の東海岸近くにあったという放棄された都市ナン・マドールの遺跡が、失われたムー大陸の遺物であるなどとは信じていない。サンゴ礁に築かれたこの都市は、石やサンゴを盛った100ほどの小さな人工島で構成され、その間には水路が張り巡らされていた。最も信憑性が高いのは、これは先史時代に沈んだ大陸の名残などではなく、小島の建設が西暦8世紀頃にはじまり、12世紀と13世紀にその上に巨石を使った構造物が築かれた、という説だ。それはすべて、シャウテレウル王朝の支配階層が平民と交わらずに済むようにするためだったと考えられている。

元々の名前はソウン・ナンレン (天国の礁) だが、ヨーロッパ人の探検家はここを「太平洋のヴェネツィア」と呼んだ。名前のついている島の多くには人が住んでおり、指導者や僧侶の家となっていたが、調理やココナッツオイル作りをおこなうペイネリング島、カヌーを作るダバウ島など、特別な目的をもつ島もあった。死者を安置する「近隣」の島々は約58あり、一面が墓で覆われている。ナン・マドールは、ポンペイ島とテムウェン島の氏族の統一に成功したシャウテレウル王朝の政治的、宗教的、文化的な権力の中心地だった。統一の直後、支配者は部族の指導者たちに命じ、自分の目の届く新しい都市に移り住まわせた。

ナン・マドールの人口は最大でも1000人程度だった。島々には食料源がなく真水も得られなかったため、なにもかもポンペイから船で運ぶ必要があった。伝説によれば、建物や墓の建造に使われた石は、すべてシャウテレウル王朝を創始した双子の魔術師、オリシーパとオロソーパが運んだものだという。実際にどうやって建設されたのかはともかくとして、ヨーロッパ人が1800年代の初頭に到着する頃には、ナン・マドールはすでに放棄されていた。1450年頃にシャウテレウル王朝が崩壊した際に見捨てられたものと考えられている。
PortraitSquare
icon_civilization_nan_madol

都市国家の種類

icon_citystate_culture
文化重視
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都市国家の種類

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文化重視
固有能力

文化的な都市国家

1 代表団: 首都の 文化力+2。
3 代表団: すべての円形闘技場の 文化力+2。
6 代表団: すべての美術館と考古博物館の 文化力+2。

宗主国ボーナス ナン・マドール

沿岸/湖タイル上、あるいはそうしたタイルに隣接している区域の 文化力+2。

歴史的背景
考古学者や歴史学者のほとんどは、ミクロネシアのポンペイ島の東海岸近くにあったという放棄された都市ナン・マドールの遺跡が、失われたムー大陸の遺物であるなどとは信じていない。サンゴ礁に築かれたこの都市は、石やサンゴを盛った100ほどの小さな人工島で構成され、その間には水路が張り巡らされていた。最も信憑性が高いのは、これは先史時代に沈んだ大陸の名残などではなく、小島の建設が西暦8世紀頃にはじまり、12世紀と13世紀にその上に巨石を使った構造物が築かれた、という説だ。それはすべて、シャウテレウル王朝の支配階層が平民と交わらずに済むようにするためだったと考えられている。

元々の名前はソウン・ナンレン (天国の礁) だが、ヨーロッパ人の探検家はここを「太平洋のヴェネツィア」と呼んだ。名前のついている島の多くには人が住んでおり、指導者や僧侶の家となっていたが、調理やココナッツオイル作りをおこなうペイネリング島、カヌーを作るダバウ島など、特別な目的をもつ島もあった。死者を安置する「近隣」の島々は約58あり、一面が墓で覆われている。ナン・マドールは、ポンペイ島とテムウェン島の氏族の統一に成功したシャウテレウル王朝の政治的、宗教的、文化的な権力の中心地だった。統一の直後、支配者は部族の指導者たちに命じ、自分の目の届く新しい都市に移り住まわせた。

ナン・マドールの人口は最大でも1000人程度だった。島々には食料源がなく真水も得られなかったため、なにもかもポンペイから船で運ぶ必要があった。伝説によれば、建物や墓の建造に使われた石は、すべてシャウテレウル王朝を創始した双子の魔術師、オリシーパとオロソーパが運んだものだという。実際にどうやって建設されたのかはともかくとして、ヨーロッパ人が1800年代の初頭に到着する頃には、ナン・マドールはすでに放棄されていた。1450年頃にシャウテレウル王朝が崩壊した際に見捨てられたものと考えられている。
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