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ルネサンス時代

産業時代

原子力時代

情報時代

未来時代

全体主義
歴史的背景
イタリア語で全体主義を意味する「トータリタリスモ」という語は、「ファシズムの哲学者」ジョヴァンニ・ジェンティーレによって初めて使われた。当時は世界恐慌のさなかで、多少の自由を犠牲にしてでも国民の安全と生活を守る、「すべてを包み込む全体的な国家」という――心温まる――意味合いを持っていた。しかし、全体主義自体は数千年前から存在する古い概念だとも言える。宰相李斯のもとで法家思想を採用した秦朝では、政治活動が禁止され、自由を説く書物は焚書になり、逆らうものは即座に処刑された。プラトンが『国家』で提唱した厳格な階級社会にも全体主義的傾向が多く見られ、マキャヴェッリの『君主論』にはさらに多くの全体主義的理想がうかがえる。

多くの政治哲学者や歴史学者が全体主義を研究しているが、さまざまな状況下での全体主義の実効性や、なにをもって全体主義を効果的とみなすかなど、 多くの点で意見が割れている。しかし、全体主義国家に以下の5つの特徴があるという点では一致している。その1、国民全員が遵守を義務づけられた公式なイデオロギーの存在。その2、階層的に組織された党による、官僚機構と密接に結びついた一党独裁体制。その3、軍とマスメディアの独占的掌握。その4、警察を使った恐怖支配。その5、国の指導による国家資本主義経済。

複数政党制や個人の自由を自ら放棄するなど正気の沙汰ではないと思うかもしれないが、真の自由主義は矛盾をはらんでいるものだ。個人の自由を際限なく追求することは他人、つまり社会を脅かす。また、複数政党制は政治の機能不全をもたらす可能性がある。そのため、第一次世界大戦後の政治的、経済的混乱で疲弊した状況において、個人よりも社会を重んじ、全体主義を主張した政治家は多かった (実際、ほとんどの国で全体主義運動が起きた)。そして、イタリアのベニート・ムッソリーニ (1922)、ポルトガルのアントニオ・サラザール (1932)、ドイツのアドルフ・ヒトラー (1933)、スペインのフランシスコ・フランコ (1936) は実際に権力の座についた。また、それ以降も、アルゼンチン、パラグアイ、ハイチ、アルバニア、イラク、ウガンダなど、数多くの全体主義国家が生まれている。
PortraitSquare
icon_civic_totalitarianism
「全体主義の勢いに惹きつけられるのは暴徒とエリート層だけだ。大衆の支持は、プロパガンダによって得なければならない。」
– ハンナ・アーレント
「どんなイデオロギーも最後には全体主義に行きつく。」
– トム・ロビンズ

解除

ファシズム
第三の道
戒厳令

条件

近代
必須社会制度
文化力コスト
基本コスト: 1640 文化力
ブースト
士官学校を3つ建設する。
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歴史的背景
イタリア語で全体主義を意味する「トータリタリスモ」という語は、「ファシズムの哲学者」ジョヴァンニ・ジェンティーレによって初めて使われた。当時は世界恐慌のさなかで、多少の自由を犠牲にしてでも国民の安全と生活を守る、「すべてを包み込む全体的な国家」という――心温まる――意味合いを持っていた。しかし、全体主義自体は数千年前から存在する古い概念だとも言える。宰相李斯のもとで法家思想を採用した秦朝では、政治活動が禁止され、自由を説く書物は焚書になり、逆らうものは即座に処刑された。プラトンが『国家』で提唱した厳格な階級社会にも全体主義的傾向が多く見られ、マキャヴェッリの『君主論』にはさらに多くの全体主義的理想がうかがえる。

多くの政治哲学者や歴史学者が全体主義を研究しているが、さまざまな状況下での全体主義の実効性や、なにをもって全体主義を効果的とみなすかなど、 多くの点で意見が割れている。しかし、全体主義国家に以下の5つの特徴があるという点では一致している。その1、国民全員が遵守を義務づけられた公式なイデオロギーの存在。その2、階層的に組織された党による、官僚機構と密接に結びついた一党独裁体制。その3、軍とマスメディアの独占的掌握。その4、警察を使った恐怖支配。その5、国の指導による国家資本主義経済。

複数政党制や個人の自由を自ら放棄するなど正気の沙汰ではないと思うかもしれないが、真の自由主義は矛盾をはらんでいるものだ。個人の自由を際限なく追求することは他人、つまり社会を脅かす。また、複数政党制は政治の機能不全をもたらす可能性がある。そのため、第一次世界大戦後の政治的、経済的混乱で疲弊した状況において、個人よりも社会を重んじ、全体主義を主張した政治家は多かった (実際、ほとんどの国で全体主義運動が起きた)。そして、イタリアのベニート・ムッソリーニ (1922)、ポルトガルのアントニオ・サラザール (1932)、ドイツのアドルフ・ヒトラー (1933)、スペインのフランシスコ・フランコ (1936) は実際に権力の座についた。また、それ以降も、アルゼンチン、パラグアイ、ハイチ、アルバニア、イラク、ウガンダなど、数多くの全体主義国家が生まれている。
「全体主義の勢いに惹きつけられるのは暴徒とエリート層だけだ。大衆の支持は、プロパガンダによって得なければならない。」
– ハンナ・アーレント
「どんなイデオロギーも最後には全体主義に行きつく。」
– トム・ロビンズ

解除

ファシズム
第三の道
戒厳令

条件

近代
必須社会制度
文化力コスト
基本コスト: 1640 文化力
ブースト
士官学校を3つ建設する。