コンセプト
文明/指導者
都市国家
区域
建造物
遺産とプロジェクト
ユニット
ユニットのレベルアップ
偉人
技術
社会制度
政府と政策
宗教
地形と特徴
資源
施設と道路
総督
歴史的瞬間
メキシコシティ
固有能力

産業的な都市国家

1 代表団: 遺産、建造物、区域の生産時、 首都の 生産力+2。
3 代表団: 遺産、建造物、区域の生産時、すべての工業地帯区域の 生産力+2。
6 代表団: 遺産、建造物、区域の生産時、すべての工業地帯区域の 生産力がさらに+2。

宗主国ボーナス メキシコシティ

工業地帯、ウォーターパーク、総合娯楽施設の効果範囲が3タイル拡大する。

歴史的背景
膨張をつづける巨大都市メキシコシティは、最初はテスココ湖の島に作られたアステカ人の集落にすぎなかった。しかし現在では湖はすっかり姿を消し、街は金融、製造、行政、文化が集まる世界有数の大都会へと成長を遂げている。

14世紀に故郷を離れてメキシコの深い谷に移り住んだアステカ人は、その地に住んでいたメシカ諸族と合一し、テスココ湖沿岸への定住を考えるようになった。伝説によると、1人の神官がウィツィロポチトリ神から神託を授かった。その内容は、ヘビをくわえたワシがサボテンにとまっているのを見かけたら、そこに定住せよというものだった (この逸話に登場するワシ、ヘビ、サボテンは、今日のメキシコの国旗にもあしらわれており、国のシンボルとして古くから親しまれている)。こうしてテスココ湖の小さな島にアステカ人の新たな都市が築かれ、テノチティトランと名づけられた。

アステカ人は瞬く間に湖と街を作り変えていき、耕作のために湖を干拓して湖岸に土を盛った。テノチティトランがある島は3本の道で湖岸と結ばれた。また、堤防、用水路、運河が張り巡らされ、小舟でも徒歩でも同じように市内を移動することができた。欧米にこうした土木事業の例はなく、強いて言えばヴェネツィアが一番近いかもしれない (新世界を訪れたスペインの征服者たちは、この2つの都市に類似点を見出している)。アステカの首都は交易の中心地でもあった。考古資料によれば、アステカ帝国の国境を越え、北米と中米のあらゆる土地から物品が運ばれてきていたようである。また、巨大建造物ヒューイ・テオカリは、アステカの宗教の中心地であった。

スペインのエルナン・コルテスと彼につき従った者たちは、この都市を初めて目にして衝撃を受けた。しかし彼らはすぐさまアステカ帝国の征服に着手。最終的には街を包囲し、1521年には降伏に追い込んだ。この結果、街の名はメキシコシティと改められ、スペインの植民地政府にとって新世界最大の要所の一つとなった。スペイン人がテスココ湖の干拓にとりかかると (以前から街は浸水に悩まされていたし、スペインの建築様式も問題を悪化させていた)、街は成長をはじめた。カトリック教会がメキシコシティを大司教領としたことで、街の重要性はさらに高まった。

メキシコを統治する政府はさまざまに変わり、政治体制も帝政と共和制の間で揺れ動いたが、メキシコシティは一貫して首都でありつづけてきた。1968年には夏季オリンピック、1970年と1986年にはサッカー・ワールドカップの会場にもなっている。この街の面積と人口は今も成長をつづけている。この一大都市圏は、メキシコのGDPのほぼ5分の1を占めているが、これは首都と国全体の比率として世界トップクラスだ。もちろん問題も少なくない。その中には、環境破壊、貧富の格差、水質など、昔ながらの問題も多く含まれている。しかしこの街の人々は、公式と非公式両方の社会システムにおいて、こうした問題に積極的かつ柔軟に取り組みつづけている。メキシコシティは、けっして自己変革をやめない古都なのだ。
PortraitSquare
icon_civilization_mexico_city

都市国家の種類

icon_citystate_industrial
工業重視
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工業重視
固有能力

産業的な都市国家

1 代表団: 遺産、建造物、区域の生産時、 首都の 生産力+2。
3 代表団: 遺産、建造物、区域の生産時、すべての工業地帯区域の 生産力+2。
6 代表団: 遺産、建造物、区域の生産時、すべての工業地帯区域の 生産力がさらに+2。

宗主国ボーナス メキシコシティ

工業地帯、ウォーターパーク、総合娯楽施設の効果範囲が3タイル拡大する。

歴史的背景
膨張をつづける巨大都市メキシコシティは、最初はテスココ湖の島に作られたアステカ人の集落にすぎなかった。しかし現在では湖はすっかり姿を消し、街は金融、製造、行政、文化が集まる世界有数の大都会へと成長を遂げている。

14世紀に故郷を離れてメキシコの深い谷に移り住んだアステカ人は、その地に住んでいたメシカ諸族と合一し、テスココ湖沿岸への定住を考えるようになった。伝説によると、1人の神官がウィツィロポチトリ神から神託を授かった。その内容は、ヘビをくわえたワシがサボテンにとまっているのを見かけたら、そこに定住せよというものだった (この逸話に登場するワシ、ヘビ、サボテンは、今日のメキシコの国旗にもあしらわれており、国のシンボルとして古くから親しまれている)。こうしてテスココ湖の小さな島にアステカ人の新たな都市が築かれ、テノチティトランと名づけられた。

アステカ人は瞬く間に湖と街を作り変えていき、耕作のために湖を干拓して湖岸に土を盛った。テノチティトランがある島は3本の道で湖岸と結ばれた。また、堤防、用水路、運河が張り巡らされ、小舟でも徒歩でも同じように市内を移動することができた。欧米にこうした土木事業の例はなく、強いて言えばヴェネツィアが一番近いかもしれない (新世界を訪れたスペインの征服者たちは、この2つの都市に類似点を見出している)。アステカの首都は交易の中心地でもあった。考古資料によれば、アステカ帝国の国境を越え、北米と中米のあらゆる土地から物品が運ばれてきていたようである。また、巨大建造物ヒューイ・テオカリは、アステカの宗教の中心地であった。

スペインのエルナン・コルテスと彼につき従った者たちは、この都市を初めて目にして衝撃を受けた。しかし彼らはすぐさまアステカ帝国の征服に着手。最終的には街を包囲し、1521年には降伏に追い込んだ。この結果、街の名はメキシコシティと改められ、スペインの植民地政府にとって新世界最大の要所の一つとなった。スペイン人がテスココ湖の干拓にとりかかると (以前から街は浸水に悩まされていたし、スペインの建築様式も問題を悪化させていた)、街は成長をはじめた。カトリック教会がメキシコシティを大司教領としたことで、街の重要性はさらに高まった。

メキシコを統治する政府はさまざまに変わり、政治体制も帝政と共和制の間で揺れ動いたが、メキシコシティは一貫して首都でありつづけてきた。1968年には夏季オリンピック、1970年と1986年にはサッカー・ワールドカップの会場にもなっている。この街の面積と人口は今も成長をつづけている。この一大都市圏は、メキシコのGDPのほぼ5分の1を占めているが、これは首都と国全体の比率として世界トップクラスだ。もちろん問題も少なくない。その中には、環境破壊、貧富の格差、水質など、昔ながらの問題も多く含まれている。しかしこの街の人々は、公式と非公式両方の社会システムにおいて、こうした問題に積極的かつ柔軟に取り組みつづけている。メキシコシティは、けっして自己変革をやめない古都なのだ。
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