歴史作家のリチャード・スラッタは、このスコットランド人冒険家を「不屈で、おそらく完全な正気ではなかった」と形容している。グレゴール・マクレガーはスコットランド出身の若い兵士で、ナポレオン戦争にも従軍した経歴を持っていた。だが彼の本当の自慢は、騎士や貴族の称号をでっちあげ、豪華な馬車でエディンバラをパレードしたことだった。ラテンアメリカがスペインの支配に抗っていると聞くと、マクレガーは早速カラカスに渡り、革命への支持を表明した。経験豊富な軍人を雇えるという幸運を前にして、現地の軍はマクレガーの奇行にはひとまず目をつぶり、彼に兵士の訓練を任せることにした。
その後すぐにマクレガーは、再び軍事作戦に携わるようになった。とりわけ彼を有名にしたのは、勝利でなく退却である。スペイン軍との戦闘で負けたマクレガーは、部隊を連れてベネズエラ各地を転々とし、王党派の追撃をかわしつづけた。新手の部隊によって退路を断たれると、彼は敵を沼地へ誘い込み、主に先住民で構成された弓隊を使って矢の雨を降らせ、敵を足止めした。これに感銘を受けたボリバルはマクレガーに称賛の手紙を送り、追撃するペルシア軍を驚嘆させた古代ギリシャの名将にちなみんで彼を「アメリカ大陸のクセノフォン」と呼んだ。
その後、マクレガーは奇妙な冒険、あるいはさらなる奇行を開始する。まず思いついたのがフロリダへの侵攻だ。当時のフロリダはまだスペイン領だったが、そこを足がかりにすれば、カリブ海地域でさらなる反植民地活動を展開できると考えたのだ。だがこの試みはアメリカに阻まれる。アメリカは、その後間もなくフロリダをスペインから買い取った。
マクレガーはその後ヨーロッパに戻り、南米の架空の国の指導者を騙ってイギリスやスコットランドの金満投資家から多額の金を集めた。しかし、結局この嘘はバレてしまう。投資家たちがいざ「ポヤイス国」に着いてみると、そこには未開の密林しかなかったのだから当然だ。晩年、マクレガーはベネズエラに戻り、かつての仲間たちを言いくるめ、軍人年金をもらって余生を過ごしたという。